インド旅行記⑥

writer2006-02-27

 本日はアニメ『ベイブレード』での目覚め。ケーブルテレビの契約チャンネル形態が違うので、アグラの宿では『YU-GI-OH』が観られない。その代わりといっては難だが『ベイブレード』が映る。しかしすぐに停電と相成り、『ベイブレード』ともお別れとなってしまった。今日は12時までは予定が何も無いので、部屋でうだうだしたり、ご飯をゆっくりと食べたりした。昨日「Nice Point Agra」を何処がナイスなのだと村西とおる氏を出して批判したが、この宿にもナイスな部分が一つだけあったのだ。それは食事である。昨夜、ここのレストランで食べたほうれん草のカレーが抜群に美味かった。ジャイプルで食べたターリーと並び、インドでも最も印象に残る食事であった。さあ朝は何を食べてやろうかとメニューを眺めて逡巡し、僕が選んだものは「ベジタブルチョーメン」だ。チョーメンといえば2日目にYが食べた化学調味料たっぷりのインドにのさばるインチキ中華料理の代表である。そしてナイスな宿のナイスなシェフが調理したチョーメンはナイスとは言えなかった。やはりここのチョーメンも化学調味料で舌がビリビリくる味なのである。チャイで喉を何とか正常に保ちながら何とか完食した。夜はあんなにナイスな味だったのに……。きっとシフトの関係で夜のシェフではない人間が調理したのだろう。
 食後は部屋に帰って、映画『ふたりにクギづけasin:B000B84ND6)』を観たり、シャワーを浴びたり、洗濯物を取り込んで畳んだりして外出の準備をした。12時、ロビーに集合し外出となった。シャリさんの運転で「アーグラフォート」という城に向かった。入場料が1人、5ドル+100ルピーというこれまで行ったどんな観光スポットよりも高いものであった。アグラはインドで最大の観光都市である(といってもアーグラフォートとタージ・マハルしかないのだが)。だからインドは国を挙げて外国人旅行者から入場料をふんだくろうと算段しているのだろう。しかし高いながらあって、アーグラフォートはしっかりとした城で、芝生が青々と茂り、大変に綺麗だった。そして中には日本人のツアー客が沢山いた。矢張りインドツアーでアグラは最もメジャーなスポットなのだろう。この日本人の客層であるが、定年退職し、悠々自適な老後を送ろうかという年配の夫婦が多い。何だツアーで行ってるなんて旅行じゃねえよ、と言う無かれ。インドは2月3月の乾季であっても気温は摂氏30度を優に超える熱い熱い国である。そして都市は空気が汚れ、歩いているだけで目と喉と鼻の奥が痛む程なのだ。いくらツアーではあっても、60歳を過ぎてインド旅行に来るというのはなかなかのバイタリティが無いと出来ない。僕が60歳を過ぎてから果たしてインド旅行に行くかと問われれば、行きたくはない。どうせ旅行に行くのならスペインやフランスなんかに行きたいなあ、と思ってしまうに違いないのだ。だから僕はアグラだけでなく、いたるところで目にするインドに来ている日本人紳士・淑女を見ると何だか尊敬してしまう。
 アーグラフォートを出る。ドライバーのシャリさんが「ランチ?」と訊いてきた。いやいや僕等はタージ・マハルに行きたい。もしかして行かないのか?とドキドキしていたら、タージ・マハルには午前中のフリータイムに行っておけということだったらしい。何を僕等は『ふたりにクギづけ』に釘付けになっていたんだ……。人の話をちゃんと聞かずに行動するとこんな痛い目に合うのだ。しかしアグラに来たからにはタージ・マハルを見ておかなければ意味が無いというもの。車から降ろして貰い、僕等だけでタージ・マハルへ向かうことにした。シャリさんは1時間後に近くまで迎えにきてくれるという。
 タージ・マハルへの入口だという門からタージ・マハルまでは距離にして1キロ。歩いて行っては1時間で見て回れないので、リキシャ(リクシャ)に乗る。1人10ルピーという観光地価格。リキシャから降り、目の前のタージ・マハルに目をやる。アーグラフォートから遠くに見えたタージ・マハルも素晴らしいが、近くで見るとその存在感・壮麗さは今まで見てきた建造物の中でもずば抜けて圧倒されるものがあった。そのタージ・マハルの入場料は、5ドル+500ルピー。ガンプラ、MGマスターガンダムが買えるであろう値段である。しかしまあこれだけのものを保存していく為には金を持っている外国人からはこれぐらいふんだくることにも……やはり納得はあまりいかない。高いよ。
 その高額チケットを購入し、ボディチェックを受けてようやくタージ・マハル本番である。300メートル先に鎮座まします純白のタージ・マハル。空は雲1つ無い淡いブルー。写真を撮ってみてもどれもポストカードのようにしか写らない。それだけ美しいのだ。そしてタージ・マハル内部へ入る。内部には棺が置かれているだけである。つまり墓だ。墓の為にこれだけのものを造った時の権力者がいたというそのスケールのデカさというか、猪突猛進型実直さにインドって凄いなと柄にも無く感嘆してしまった。
 タージ・マハル内は勿論土足禁止であった。外国人旅行者は外国人旅行者価格の高額入場料を支払った為に、入場口で靴カバーを渡されるので靴を脱がずに、靴にそれを被せれば良いだけだ。しかしインド人観光客はインド人価格の外国人に比べれば安い入場料なので靴カバーは無い。つまりは靴を脱いで入るのだ(棺のあるフロアの下に下駄箱がある。まさかタージ・マハルを造らせた王様も後になって下駄箱を造られるとは思っていなかったであろう)。そう、インド人の体臭の登場である。食べている物や生活様式の違いで体臭が生じるのは仕方の無いことであるのだが、どうにもやはり笑いが込み上げてくる刺激的なものだ。
 タージ・マハルを後にする。帰りもリキシャを利用した。自転車の漕ぎ手は中学2年ぐらいの少年だ。帰りは上り坂ということで、漕ぐことなくそのほとんどの道程を自転車を押して進んだ。頑張れ少年。そんな思いで僕等は座席の上から彼を見守った。僕が中学生の頃は、如何にして注意されずにエロ本を買うか、ということだけを常に考えて生活してきた。でも彼はきっと一家の家計の足しに少しでもなるように働いているのだろう。本当に頑張れ、少年。エロ本を買う為にバイト感覚でやっているだけならばもっと応援してしまうのだが。
 シャリさんと合流し、駅まで送って貰う。ここでシャリさんとはお別れである。涙無しには語れない感動的な別れ等はなく、所要の書類にサインをして終了。あとは列車に乗ってバラナシに行くだけ。しかし現在の時刻は午後3時。列車が来るまで6時間以上ある。まあ駅でなかなか来ない列車を待つ、これもインドらしくて良いんじゃないかと駅舎(そんな良いものではないが)へ入ってベンチに座って時間が過ぎるのをただひたすら待つ。退屈凌ぎと『美味しんぼ』の中で印象的な料理の話(結局日テレで何度も再放送している「筍の刺身」とか「紅玉を使ったアップルパイ」とかが最も印象的だった)だとか「古今東西バンドのドラム」をやる。ヴォーカル・ギター・ベースの名前は結構スラスラと出てくるのにドラムの名前だけはなかなか出てこない。ドラム、もっと頑張れ。
 スタスタと犬が入ってきて駅舎の中で寝そべる、なんて様を30回以上目にした後、時間は18時を回った。列車は来ないが旅行者が沢山駅舎に入ってきた。その中に1人、日本人旅行者もいた。彼は魂の抜けたような目をした僕等を見つけると「日本人の方ですか?」と話掛けてきた。僕等と同じく大学4年生であった。インドに2週間。その後タイ・カンボジアと1ヵ月かけて巡るという。何とも羨ましい。インドに来てからの5日間でどんなぼったくりに遭っただとか、シャワーみたいな下痢便が出ただとかの話を聞かせてくれた。やはり1人で異国を回っていて、同国の人間に遭遇するというのは相当に心が安らぐのだろう。彼はややハイなテンションになって話をしてくれた。きっと僕も1人で旅をすると彼のようになるに違いない。
 列車到着予定時刻の15分前に僕等の目当ての列車が来るであろうプラットホームへ向かった。このような小さな駅には英語の表示やアナウンスが一切無く、どっちのプラットホームに行って良いものか駅員に訊かないとわからない。その駅員は乗車券販売窓口に2人しかいなかった。駅員に訊いたところ、2番ホームだと言うので、線路を渡って2番ホームへ向かったのだ。そしてここにも大学生旅行者3人組がいた。関西の大学に通う関西人である。どうにも見た目・服装・喋り方からソリが合わなそうだということが判明したので少し避ける。やはりどういうわけか(アッパーな)関西弁は少し苦手だ。前述の1人旅の彼と関西の大学生3人組との会話に耳を傾けると、どうやらバラナシでは両者とも「久美子ハウス」という日本人が経営する宿に泊まるのだという。僕等は久美子ハウスにだけは泊まらないでおこうな、と意気を合わせた。
 到着予定時刻から30分。列車がホームに入ってきた。しかし自分達の車両が何番なのかがわからない。何処なの?何処なの?とあくせくしながら欧米人バックパッカーが乗り込んでいる車両に、卑屈な日本人面を湛えて僕等も乗り込む。中に入ってもまた問題が生じた。車両はここの隣らしいのだが、座席番号が未だわからない。様子を伺って眺めていると、各車両後方に係員がいるのか、その係員らしきおじさんに切符を見せると僕等の席を示してくれた。何だこのシステムは。もっと簡素化出来るだろ。列車だけはもう一回イギリスに管理して貰った方が良いのではないか、と少しの憤りを交えて考えてしまった。どうにかこうにか自分の席(寝台車なのでシングルベッドの0.7倍ぐらいの広さ)に辿り着く。しかしどういうわけか指定席であるはずなのに僕の席にはオヤジが3人腰掛けていた。どれだけ人を疲れさせれば気が済むんだ?兎に角席から退いてくれ、とやや汚い英語で言い、彼等を退かして席に寝転んだ。
 数分して、車掌らしき人が切符の確認をしに現れた。それが終わると、寝具係のおじさんが、枕・シーツ2枚・毛布を運んできてくれた。それ等を敷き、リュックをテーブルに括り付け、鍵を掛けて10分。列車が動き出した。それを確認して就寝。
 タージ・マハルに行く時間を聞いていなかったのと、初めての列車で気持ちが急いていたので今日はインドに完膚無きまでにやられた。敗北。
※写真は美しいタージ・マハルとだらしのない格好の僕。モザイクでわからないが、ラーメンが食べたいと顔で訴えている。