インド旅行記⑦

writer2006-02-28

 午前6時起床。少し身体が痛む。寝台車のベッドはやはり固い。7時にはバラナシに着く予定なので、降りる心構えで臨んでいた。列車の中にいても日本のようにアナウンスや表示がないので窓から外を覗いて、バラナシ駅かそうではないかを判断する。起きてから3時間は経っただろうか、未だバラナシには着こうとしない。暇を持て余していた僕は、本を読んだり、日記を書いたり、Yから借りたクロスワードを解いたりしていた。途中の駅で物売りが列車に乗ってきた。その物売りから、揚げたパンの中にマッシュしたじゃがいもを入れたサモサの仲間のような食べ物を買って食べた。コロッケパンの遠縁のような味わいでなかなか美味かったが、朝から揚げ物を食べるというのは胃には厳しいことをしてしまった。そしてついに時間は午後の1時を回った。一体いつになったら着くのか。インドの列車は本当に遅れるんだあ。実はもうバラナシを通過してしまったのではないか。というようなことを考えているうちに僕は再び眠ってしまった。
 午後2時。Yに起こされる。どうやらもうすぐバラナシに到着するらしい。さあ早く着いてくれと窓の外を眺める。列車がホームに滑り込んだ。今まで通過してきた駅とは様子が違う。ホームには人が溢れ、チャイ売りやお菓子売りが大勢いた。都会だ。バラナシだ。予定を7時間オーバーしての到着。初めから午前7時に着くつもりなどなかったかのような走行だ。無理なら無理と最初から言ってくれれば良いものを、無理して「7時に着きます」なんて言うからこっちも期待してしまうではないか。
 バラナシ駅から町の中心地までは駅で一緒になったイチローと俳優の小林正寛を足して2で割ったような顔の男性とオートリキシャに乗り合った。なるべく大人数で乗った方が1人辺りの払う料金が安くなるので得なのだ。何とも情けないことだが、これが初のオートリキシャとなった。イチロー小林正寛を足して2で割ったような顔の男性は、年の頃25歳ぐらい。今回が初めての海外旅行で、単身インドに臨んだと言う。彼は既にバラナシでの泊まる宿を決めていたらしく、ドライバーにその宿の名前を言って、オートリキシャは動き出した。
彼は「困った時は○○ゲストハウスにいるので、何かあったら言って下さい」と非常に心強いことを言ってくれる熱血漢であった。しかしまあ頼りにすることはないだろう、とこの時点で如実に感じていたので「はあ、どうも」と身の入っていない笑いを浮かべて応じた。
 オートリキシャは入り組んだ細い道を進み、彼が伝えた宿と似た名前の宿に到着した。水野美紀水野真紀ぐらいの差である。しかし彼は値段が安いということで、この宿にチェックインして中へと入っていってしまった。水野美紀水野真紀だったら名前が似ているだけで、実際のところは全く違うので、今回の場合がそうじゃなくて良かった。僕は何を言っているのだろう。
さて、僕等はというと、この宿には日本人が多そうなので違うところを探そうとなった。オートリキシャのドライバー(2人組)はここから程近い「エルヴィスゲストハウス」という宿を勧めてきた。その勧め方がもうインド人の典型的ギラつき具合を伴った情熱を湛えていたので、死んでもエルヴィスゲストハウスには泊まらないと決意した。取り敢えずここからは離れようと彼等に、ガンガー(ガンジス河)沿いに行って貰うことにした。が、ドライバーはエルヴィスゲストハウスの前で停車しやがった。早くガンガー沿いに行け、と伝えるとオートリキシャは何処かはわからないがちょっとしたバザールの中に入った。僕等は「ここで良い、もう降りる!」と駄々っ子調に言ってオートリキシャを降りた。そこらにいるインド人に、ガンガーはどっち?と訊ねて示された方向へと歩くが、いつまで経ってもガンガーは見えてこない。以前にも言ったが、僕等は流行りの地図が読めない男である。これ以上歩いても更に深みに填まるだけだと、オートリキシャを降りた地点まで来た道を戻った。そして今度は違うリキシャに乗り「ダシュシャワメードガート」付近まで行って貰うことにした。「ガート」とはガンガーの岸辺から階段になって河水に没している堤のことである。ほんの4〜5kmのガンガー沿いに、60ものガートがひしめき合っている。そしてダシュシャワメードガートはそのガートの中でも最も大きなメインガートである。そこに行けばきっと宿があるだろうという単純な算段である。
 人と牛と犬とリキシャが犇くバザールを通り抜け、僕等を乗せたリキシャは停車した。まだガンガーは見えてこないが、ここがダシュシャワメードガートエリアらしい。歩いてガートを目指す。目の前が開け、茶色の河が見えてきた。うーむ。これがガンジス河かあ、と思うも、ヒンドゥー教徒ではないので深い感銘のようなものは無い。それよりも日が落ちる前に宿を決めなくては。ガートを降りて、ガンガー沿いを歩いて宿を探す。「ドルフィンゲストハウス」という小綺麗な宿の看板を見つけた。それを辿って、ドルフィンゲストハウスに到着した。フロントで値段を聞いてみると、1泊4000ルピーだと。12000円ってこと。今の所持金じゃ1泊したら破産だ。よく見てみると天井が高くて、従業員も沢山いて、泊まっている人も結構年がいっている人ばかりで……。汚いサンダルでホテルの床を汚してしまってごめんなさい、そんな気持ちで宿を出る。再び宿探しである。ドルフィンゲストハウスから歩いて100メートル。ガンガー沿いに建つ宿「アラカナンダゲストハウス」に決めた。名前の響きの情けなさからして僕等にピッタリである。しかし決め手となったのは名前の響きではない。ダブルの部屋が1泊200ルピーだからだ。つまりは1人100ルピー。300円なのである。今まで泊まった宿の中で一番安い。シャワーとトイレは共同。ベッドは板にダンボールを敷いたような固さではあるが、クーラーとテレビはある。下手すりゃアグラでの「Nice Point Agra」よりも良いんじゃないの?と思えるぐらいだ。宿主(と書くと何だか寄生虫を腹に飼っている人みたいだが)はヒンドゥーー教の修行者らしき格好をしたおじいさんで、人当たりが良さそうな感じだった。そのおじいさんに2日分の料金を払い、チェックインを済ませる。勿論領収書は忘れずに貰っておいた。部屋に荷物を置いて、河沿いや町を歩くことにした。
 ガンガーに沿うガートでは子供に混じって大人までもクリケットを楽しんでいた。平日なのにインド人の大人は遊んでいられるのだ。といっても遊ぶ余裕のあるインド人なんて実は一握りなんだろうけど。彼等に「やらないか?(他意はない)」と誘われたがクリケットのルールがいまいちわからないので遠慮した。僕等は階段に腰掛けてガンガーの流れやクリケットを眺めた。暫くそんな具合にボーッとしていると、漫画に出てくるなら「ざーます」口調にしてやりたいような顔の、青年とオヤジの合間をいくインド人が話し掛けてきた。「ハッパ?ハッパ?」と。彼は僕が出会う人生初のプッシャーであった。勿論日本でお目にかかったことはない。「ノー ハッパ」と返すも、僕等が座っていて動きにくいのを良いことに、結構しつこくハッパを売ろうとしてきた。毛頭買うつもりはないが、彼がいくらでマリファナを売ろうとしているのか訊いてみるのも一興と値段を尋ねてみる。すると手応え有りと思ったのか、何やら近くにいた仲間とボソボソと言葉を交わし、僕等を何処かへと誘っている。マリファナを買おうと連れてこられた場所には実は警官がいて、お金を渡したと同時に逮捕されそうになるが、賄賂を払って見逃して貰う。というようなプッシャーと警官がグルになった手口がバラナシでは横行していると聞く。彼等に付いていったらそういう事態になりかねない。というか興味本位で、ただ値段が知りたかっただけなのに奴等のアジトに行ったら買う羽目になってしまう。ということでプッシャーを追い払う。すると別のインド人青年が僕の隣に腰掛けてきて、上述のような手口を働く輩がいるから、もしマリファナをやるならそれなりの覚悟でやれよ、というようなことを言ってきてくれた。老婆心からなのだろうか。珍しく親切なインド人であった。それにしても、「ハッパ?」と日本語で持ち掛けるぐらいだから結構多くの日本人が買ってるんだろうなあ。
 立ち上がり、再びガンガー沿いを歩いた。暫く行くと3〜5歳ぐらいの子供が5人いた。カメラを向けると嬉しそうに笑顔を浮かべる。インドにいるとロリコンになるとはよく言ったもので(僕が言い出したのだが)インド人の女の子というのは非常に可愛い。それは性的な何かではなくマスコット的なものなのであるが、インドの女の子だけでBerryz工房を結成した方が人気が出そうである。しかしこいつ等、写真を撮ってさあ行こうと思ったら「金をくれ 金をくれ」とは何事か。写真を撮って金を払うという仕組みは何やらブルセラのシステムに似ている気がするので金はやらなかった。代わりにガムをやろうとポケットから取り出すと、池の鯉のような勢いで迫ってきた。1人1個だぞ、と言っても聞きゃあしない。全部を奴等に奪われレイプされた気分になった。
 子供たちから離れ、少し歩くとそこは火葬場だ。ガンガーを臨む火葬場で焼かれ、遺骨を河に投じられるというのはヒンドゥー教徒にとって最大の喜びなのである。こうやって死んでいった人間は、リインカネーション(輪廻転生)の輪から解放されるだとか、生まれ変わった時には現世よりも上のカーストになれるのだという。ガンジスの流れは今生の罪をも流してくれるのだ。何とも都合の良い考えだが、まあそれは文化・宗教の違いである。
キャンプファイヤのように組まれた薪が大きな炎に包まれて燃えていた。あの中には遺体があるのだと思うと変な気分だった。火葬場は最早観光スポット化している。衆人環視の元、火葬されると思うとやはり自分だったら厭だなあ。恥ずかしい。火葬場から20メートルぐらいの地点にいたのだが、親族以外はこの場所に入ってはならないらしく、火葬場が見たいのなら火葬場の上にある4階建てぐらいの建物から見ろ、と強めの語気で注意された。ここでは駄目だけど上なら良いよ、という理屈がよくわからないのだが、これもまた文化・宗教の違い(書いていて、これでほとんどのことはカタがつく気がしてきた)であろう。何だかあの建物に入ったら見物料とかをせびられそうなので火葬場からは離れた。
歩を進めると「INTERNET」という看板が目に入った。ネットカフェ(インドではサイバーカフェ)だろう。行ってみることにする。歩くこと7〜8分、ようやくサイバーカフェを見つけた。シルク生地店に併設されるという日本にはまだ上陸していない何とも奇抜なスタイルのカフェだ。恐る恐る中を覗いてみるとおじいさんと孫娘だと思われる中学生ぐらいの女の子がいた。インターネットをやろうとするも、故障しているらしく、ちょっと直してみるから待ってくれとのことだった。修理を待っている最中「ここはバラナシでも有名な店で、世界中のガイドブックに出ているんだ。日本のガイドブックにも載ったんだぞ」とおじいさんは得意気に語ってきた。ガイドブックのコピーがあるらしく、店の奥からファイルを持ってきて、僕等に紹介し始めた。アメリカ・ドイツ・フランス・中国といった国々の記事はあるが、日本語で書かれたものが見つからない。失くしてしまったのだろうか。おじいさんは何度も何度も確認するが無い。孫娘に「おじいちゃん、もう良いじゃないの」というような具合で諭されながらも一生懸命探すおじいさんであった。しかし日本のガイドブックのコピーはとうとう見つからなかった。それでも日本のガイドブックに紹介されたことがあるのだろう。おじいさんの態度や口調からそれは間違いなさそうだった。それか痴呆なのか。パソコンはというと結局直ることなく、僕等はシルク生地店兼サイバーカフェを後にした。
 宿に戻る途中で夕食を摂った。『地球の歩き方』にも掲載されている店だ。レストランとしてではなく、宿として紹介されているのだが。日本料理があるということなので、店頭で呼び込みをしていた恰幅の良いおじさんにまんまと付いて入店した。店内に僕等以外の客はいなかった。それにしても、おじさんの接客態度が良過ぎる程に良い。4人掛けのテーブルに通されたのだが、Yと向かい合って座る僕の隣の椅子に腰掛けて、メニューを眺める僕等に「このチキンスープは評判が良い。それからこのご飯物にはこの汁物がピッタリなんだぜ。それから……」という具合だ。深夜のコンビニ店員におじさんから抽出した客への情熱エキスを飲ませてやりたい。かく言う僕も嘗ては接客態度の芳しくない深夜コンビニ店員の1人であったのだが。インチキ日本料理を食べたかった僕は、中華丼とおじさんが勧めてきたトマトヌードルスープとレモンラッシーを注文した。まずレモンラッシーが運ばれてきた。飲むヨーグルトに生レモン果汁を絞った味わいである。もうちょっと甘味を抑えるとバラナシのケーブルテレビ局が特集を組んでくれるかも知れないよ、おじさん。次に来たのがトマトヌードルスープ。塩味のスープに、刻んでさっと煮たトマトと麺が入っている。太さや食感の具合からいってチョーメンに使われる麺と同じ物だろう。インドにおけるチョーメンのシェアは1つの会社が独占していまっている寡占状態なのだろうか。兎に角麺といえばこの麺しか無いのである。味はサッパリとしていてなかなか良い食べ味だった。そしてお待ちかね、久しぶりの日本料理との対面である。日本料理とはいっても名前は中華丼なのであるが。
 目に鮮やか。いや眩しい。中華丼といえば、白菜や豚肉や筍やキクラゲやうずらの卵等の具に上湯スープを加え、炒め煮の後、水溶き片栗粉でとろみをつけた所謂八宝菜をご飯に乗せたものを想像しがちだが決してそうではない。寧ろそれは日本だけの凝り固まった発想なのである。皆、もっと世界に目を向けるべきだ。これからはグローバリゼーションですよ。そして僕はそれをインドの中華丼に見た。インドの中華丼、というか世界の中華丼の常識。それは一口大に切った鶏肉と人参とピーマンと玉葱を炒め、醤油をベースにしたんだか何だかわからない化学的な味付けを施した具をご飯に乗せたものである。これがグローバルスタンダード。これが世界標準。これが世界。これが宇宙。そして宇宙を口にした僕も宇宙の一部であり、宇宙は僕の一部だったのだ。僕は宇宙であった。
 決して中華丼にLSDが混入されていたわけではない。ただ何となく「宇宙がどうだか〜」と書いたらモテそうな気がしただけである。鳥インフルエンザを危惧してこれまで鶏肉・卵を避けてきた僕であったがここでそれを解禁してしまった。しかしこれがインドで最初で最後の獣肉となった。半分以上残して、あとはYに食べて貰った。不味かったわけではない。思った以上にトマトヌードルスープにボリュームがあったのである。食事を終えて、会計にと例のおじさんを呼んだところ、少し安くしてくれた。何とも上々なおじさんであった。でもきっと外国人旅行者相手に凄い儲けているんだろう。
 さあ腹も膨れたし、宿に戻ろうと宿を目指して歩いていたのだが、どうにも道を誤ってしまった。しつこいようだが僕等は地図が読めない男なのである。しかしそれが功を奏したのか、僕等は「プージャー」に居合わせることが出来た。プージャーとはガンジス河へ祈りを捧げる儀式である。ダシュシャワメードガートで毎日行われるという。朝礼台ぐらいの高さの台が5〜6あり、それぞれの台に20代前半(「だい」が多いな)ぐらいの青年が1人ずつ立ち、火が灯る松明のような物を振ったり、神主が厄払いの時に使うような葉の付いた枝を振ったりしながら何やらお祈りをしている。彼等の後ろには毎夜、数百人の僕等のような見物人や熱心なヒンドゥー教徒や修行者であるサドゥーがワラワラと群がる。プージャーの会場(?)にはインド特有のあの音楽が大音量で流れ、祈りを捧げる青年達の頭上には赤、青、黄、緑といった原色の明かりで彩られた割りと大きなイルミネーションが光を放っていた。そのイルミネーションは宮本茂氏もビックリのサイケデリックなキノコ形であった。ガンガーと大音量の音楽と炎とサイケなイルミネーション。人によっては、何に頼らなくともトリップ出来そうな環境である。この非日常が毎夜毎夜ここでは繰り返されるインドはやはり宗教が中心となった国であり、バラナシはその中でも聖なる土地なのでる。しかし僕は何を真面目に書いているのだろう。真面目に文章を書くのは少し恥ずかしい。
 その非日常の空間にもインドの日常があった。僕と同じぐらいの年の男が日本語で話し掛けてきた。上述のプージャーのことは彼から聞いたのであるが、彼は一通りプージャーの説明をしてくれた後に「近くに俺の勤めるシルク生地店があるから明日にでも来てよ」と客引きをしてきた。時間があったら行くよ、とだけ応えておいた。その後も少し彼と言葉を交わしていると、仲間が2人現れた。そのうち1人の男は、僕が映画を撮るなら、最初に殺される役に抜擢するぐらい陽気だったのだが、Yに対して「大沢たかおに似てるよ〜。あ!長渕?高倉健?志村け〜ん?」という具合に話し掛けてきたのである。僕から見ると、Yは痩せた岡田斗司夫なのだが、インド人には大沢たかおに映るのだろうか(これ以後もYは度々大沢たかおに似てると言われたり言われなかったりする)。ところがそういうわけではないのである。数年前に大沢たかおがテレビ番組だか映画だかの撮影でバラナシに長期滞在したことから、ここらで商売するインド人は日本人旅行者に対して「大沢たかおと知り合いで〜す」と言い、日本人を安心させるということらしい。しかしあまりにも多くのインド人が「大沢たかおと知り合いで〜す」を使ってくるので、最早その言葉に信憑性は無い。早くそこに気付いて、インド人。今ならきっと「押尾学とマブ達で〜す」が効くと思う。
 プージャーを見終え、宿に帰る途中でまたプッシャーにマリファナを勧められる。数メートル先を警察官がウロウロしているのに。お前はその捨て身の売人魂をカバディとかにぶつけるべきだ。プッシャーを振り切って宿に戻り、シャワーを浴びてベッドに横になる。ここで沈んでいく旅行者が多いのもわかる気がした。
 今日はきっと引き分け。オートリキシャのドライバーにイラついたけどきっと引き分け。
※写真はインドの愛すべき全力馬鹿。×が先攻だったのだろう。もっと考えよう。