日記

 いつの間にか年が明けていた。小さい頃、大晦日から元日に掛けての時間は何だか特別な瞬間のような気がして、妙に気持ちが浮ついていた。しかし22歳ともなると別に普段と変わらない。テレビの中の大人達だけが浮ついているとしか思えなくなっている。ただ年齢を重ねていくだけである。
 しかし、今日ほどその「年齢」を感じた瞬間はなかった。体力的に年齢を感じるのは、駅の階段を1段飛ばしで駆け上り、息を切らして脚をガクつかせる時である。高校生の時にはこんなことはなかった。だが、体力的な年齢を感じる瞬間というのはそれほどショックではない。問題なのは精神的に年齢を感じる時である。これまで数度そのショックを味わってきた。最初は自分と同じ年や自分より年下のグラビアアイドルを見た時。16歳の時にヤングマガジンかなんかで見た時にはコンビニで脚を震わせた。二度目は年下の高校球児が甲子園で活躍している様を見た時。しかしまあこれはすんなりと受け容れられた。これとほぼ同時にやってきたショックに比べれば高校球児の存在なんて象に対するミジンコのようなものだ。高校球児とほぼ同時にやってくるショック。それは自分と同じ年のAV女優のデビューである。更に翌年、追い打ちをかけるように年下のAV女優がデビューする。これには後頭部を鈍器で殴られたようなズンと重いショックを受けた。そして2006年の元旦、僕はまたショックを味わったのである。
 細木数子島田紳助もかくし芸も観たくない。詰まらない。ならば筋肉番付を観るより他にない。夕飯を食べ終え、心漫ろにブラウン管を眺めていると1人のスポーツ選手が映った。画面下部のテロップには名前と年齢が。「琴欧州 22歳」。琴欧州と僕は同じ年齢だったのだ。まさかそんなことが。ダイエーの寺原と同い年っていうのは受け入れられたよ、僕は。それにしたってまさか琴欧州と同じ年だったなんて。往々にして相撲取りは老けている。しかしそれがブルガリア人の相撲取りともなると常人の1.8倍ぐらいのスピードで老けていくんじゃないのか?もうスカパーのCMもヨーグルトのCMも素直に観れないじゃないか。というか昨日の紅白の審査をやっていた時も22歳だったんだよな。凄ぇよ。もう怖いというか、ある種気持ち悪ささえ感じるよ。