日記

「イジメ」について本気出して考えてみた(オリジナル。きっとこの先誰かがこれに似たようなタイトルの曲を出すという大胆な予想。最早ここまで来ると予言)。
もうこの俺はジェネジャンだとかしゃべり場とかが大嫌いなのである。極論で話し過ぎ。白か黒かのどちらかしか選べない、語れない。まあそうしないとテレビとして盛り上がらないのだろうけど。だがしかし、現実は極論では語り切れない。不条理なことが多過ぎるから。イジメもその一つ。
「イジメ」という言葉が出てきたのは80年代頃だと言われている(多分)。では「イジメ」と呼ばれる以前はどのように言われてきたのか。恐らく、これは全く以って推測であるが、「校内暴力」の仲間、校内暴力の一端として捉えられていたのではないか。評論家か学者かその辺りの知識人が「イジメ」という言葉を提唱し、「イジメ」は校内暴力から切り離されたと考えるのはどうだろう。どうでしょうか。いかがなものかと。まあ今で言うところの「ゲーム脳」みたいなものじゃないか。違うか。多分違うな。で、そのイジメが社会問題となってきたのが90年代。「イジメを苦に自殺」という見出しが新聞・雑誌の紙面(誌面)を賑わす。そしてある論争が生まれる。
「いじめられる側にも何か原因があるのではないか?」
これを最初に提言した人間の勇気を称えたい。しかし賛同はしかねる。まあいじめられる方に原因があるパターンもあるよきっと。あるでしょう。例えば、つい授業中うんこを漏らしてしまって、又は野糞しているところを同級生に目撃されて、そこから仇名が「うんこ」若しくは「うんこマン」になり3年間若しくは6年間うんこ漬け。悲運。何たる悲運か。うんこ何て皆するだろう?漏らしたことあるだろう?野糞だってあるだろう?俺なんか小学校低学年の時(はっきりと覚えていない)高速道路の中央分離帯で野糞したし、中1の時家まであと10秒というところで歩きながら漏らしたし、中2の時人通りの多い、車通りの多い道路に背を向けて団地の前で野糞したし。そのぐらい皆経験するもんなんだよ。今日だってな、駅の階段を下っている時にちょっぴり出たんだからな。成人してもうんこは漏らすもんなんだよ。なのに小学生、中学生となるとやれ「うんこうんこ〜!」と嬉々として騒ぐ、おちょくる、小馬鹿にする。何なんだと。じゃあお前等うんこすんなよと。という具合に学校でのうんこ、野糞の目撃の後には「うんこマンの悲劇」が訪れるのである。これは確かにイジメの発端を作ったのは自分の腸であり肛門であるのだ。あるのだが、しかしそれ以上に騒ぎ立てる側の精神の持ちようが最たる原因を生み出している。うんこをすることは自然なこと、寧ろしなければならない。という考えを物心付く前に養う必要があるわけだ。これはうんこの場合以外にも当て嵌まる。
デブ、ガリ、眼鏡。そういった身体的なこと。太っている人もいる。それは食べ過ぎたのかも知れない。運動しなさ過ぎたのかも知れない。だけど太り易い体質の人もいる。痩せ過ぎの人は貧乏なのかも知れない。偏食なのかも知れない。だけど栄養を吸収し辛い身体なのかも知れない。眼鏡をかけている人。ゲームのやり過ぎ、テレビの観過ぎ、漫画の読み過ぎかも知れない。だけど元々視力が悪い人もいる。体質だろうが自分の生活の乱れからくるものだろうがこれは仕様が無いことなのだ。家族が大食いなら子どもも大食いになるのが自然。自然なのだ。まあこれでいじめられるのは昔から、きっと平安時代辺りからあるんじゃないのか。だから急に無くそうなんて無理。これからも無くならない。俺が許せないのはそういったことではなくこういうこと。
太っている人が急に給食を残すようになる、運動するようになる。ガリガリな人が筋トレを始めるようになる。眼鏡の人がコンタクトにする、お洒落眼鏡にする。その変化をいじめるという事態が許せない。自分からイジメの原因を解決しようという姿勢を笑うこと。これは駄目、絶対。ここに「いじめられる側にも何か原因があるのではないか?」という議論の入る余地は無い。その原因を自分から断つ努力をしているのだから。
ではこの場合はどうだろうか。中学生ともなると金、物欲に塗れる。恐喝、強請り、集り、そういった種類のイジメが起こる。小学生でもあると思うけど。では金を集られる側の原因は?全てがそうではないが家が金持ちだから、というケースもあるだろう。この理由でいじめられる人はどうすれば良い?貧乏になれば良いのか?違うだろ馬鹿、俺。弱いから?いじめて欲しそうな顔してるから?阿呆か。どんな顔だそれは。ドMか。豚野郎か。そんな中学生厭じゃ木瓜、俺。日本一の男の魂か?え?阿呆か。
こういった議論を是非ともして下さい。マスなメディアの方々へ。
今日はかなり熱くタイピングしてしまったな。ブラインドタッチだよ最早。だけど言いたいことの半分もまだ言ってないな。これから言ってくから、俺。
一番言いたいことはうんこ漏らしを馬鹿にするなという自己弁護に終始することに誰が気付くだろうか。上手いことやったよ俺は。イジメに摩り替えてのうんこ漏らし擁護。