映画

トゥルーマン・ショー [DVD]

トゥルーマン・ショー [DVD]

 「もし自分がトゥルーマンだったら?」。この映画を観た多くの人が考えることだろう。僕も考えた。深夜に酒を飲みながら観たので、より素直に、心に何の遮蔽物も作らずに「もし自分がトゥルーマンだったら?」と考えた。生まれた時から、というか母親の胎内にいる時から世界中の人間が自分のことを知っている。そして世界中の人間が自分のことを知っているということを自分自身は知らない。知っていたらもっと苦痛だろうが。信じていた人間は全員キャスト。これまで僕を取り巻いてきた全ての人間は役者で僕の人生を盛り上げる為に動いている。そうか、そうだったのか。じゃあ父親も母親も弟も親戚も俳優だったわけか。でも僕はトゥルーマンとは違い、飛行機に乗ったことがあるし海外にも行ったことがある。それも全てスタジオ内で行われていたことなのか?って違うな。何故僕なんかを撮ろうと思う。普通の人間の普通の一生を映すといっても僕なんかの一生を映してどうなる?自意識過剰にも程があるぞ、俺。俺がなれるのはせいぜい街を歩くエキストラの一人に過ぎない。「もし自分がトゥルーマンだったら?」なんて考えるべきではなかった。「もし自分がトゥルーマンの人生の登場人物になったらトゥルーマンに真実を告げるだろうか?」。考えるべきなのはこっちだ。自分がトゥルーマンショーに出るんだったらトゥルーマンには教えないだろうなあ。自分が生まれてくる前からやっている番組が自分の一言で終わってしまうなんていう事態になってしまったらそれから先あらゆる重圧に耐えながら生きていかなければならない。笑点が自分のせいで終わってしまうのだ。どうすりゃ良い?山田君の人生はどうなるんだ?それにトゥルーマンショーが放送されている世界ではトゥルーマンショーがあるのが当たり前。自分もその状況が当たり前であると感じてトゥルーマンの人生はテレビの中の世界。今のイラクをテレビで観る感覚だろう。所謂思考停止ってやつですなあ。森達也の言う。
 しかし待てよ。トゥルーマンは結婚していたなあ。夫婦なのだから勿論セックスするはずだよなあ。トゥルーマンの奥さん役の女性はセックスを全世界の人間に見られるわけだよなあ。ポルノ女優が奥さんをやっているのだろうか。それともセックスレスなのだろうか。まだまだ疑問はあるぞ。生活していく上でゴミがでるはずだよなあ。そのゴミはあの小さなドアから出しているのだろうか。排泄物はどうしているのだろうか。スタジオ内は完全循環型で一切無駄な物を出さないシステムが構築されているのだろか。なんて映画なのだから矛盾点を挙げていったらキリがないな。映画は馬鹿になって楽しめば良いか。評論家以外は馬鹿になれ!(←僕が考えた言葉。今後プロレス界で流行る予定)