この世は記号

嘗てフランスの学者ジャン・ボードリヤールは日本の、渋谷に来てこう言った
「ここには記号が溢れている」


世の事象全ては記号なのだ。
記号をその文化、社会、地域の共通認識というフィルターを通してその事象の意味を読み取る。
ある文化では犬は愛玩動物。またある文化では滋養の為の食物。またある文化では狩りのパートナー。となる。
「犬」という動物はそれぞれの文化で異なる役割を果たしている。
我々はオレンジの看板を見るとすぐに牛丼屋を認識することが可能である。
それは我々の生活に吉野家が浸透し、密着しているからである。


このようにその育ってきた社会的、文化的背景で事象への認識は大きく異なってくる。
だから2004年前に一ユダヤ人、イエスが生まれた日の前日から当日にかけて何かをしたりする必要は無いのだ。
同時に恋人が居ない人間は微塵も焦燥感を抱える必要は無い。
焦燥感を抱えている人が居るのならばそれはメディアや海外資本が創り上げた虚構の焦燥感だ。


ヽ( ・∀・)ノ● ウンコー