日記

 九段下の駅地下で待ち惚ける。
 インドに行く為にはビザが必要とのことなので、インド大使館に来なければならない。だから九段下駅で一緒にインドに行く友人を待っていたのだが、来ない。メールをしても返ってこない。電話をしても応答がない。地下鉄だから電波が届かないのだろうか。はたまた事故にでも遭ったのだろうか。いや遅刻だろうか。本を読みながら待っていると、待ち合わせの時間から30分近く経ったところで電話が鳴った。どうやら今起きたらしい。これから流行りそうな言葉で言うと、これもまた想定の範囲内である。成田でやらかしたらえらいことだけど。
 しかし、うかうかしてはいられない。ビザの受付時間9時〜11時である。その時間が迫ってきていたので、早歩きで大使館を目指した。しかし場所がわからない。地図では今僕がいる所が大使館のはずなのにそこにはコンビニぐらいしかない。周辺をうろついていると、インド大使館アパートと記された門扉を見つけた。恐らく大使館に勤める方々の住処であろう。2分程そのアパート(といってもマンションのような建物)の前を行ったり来たりしていると、見るからにインド人のファミリーが出てきた。奥さんと子供を連れ立った、お父さんと思しき紳士に、「あのう、インド大使館はどちらにありますかね?」と卑屈な日本人っぷり丸出しの態度で訊ねたところ、「真っ直ぐ行って曲がったところだよ」とチューヤンの5倍は流暢な日本語で教えてくれた。お陰で大使館を見つけることが出来た。インドに行く前にインド人とのコミュニケーションに成功した僕はきっと大丈夫。
 インド大使館は僕の通っていた中学校ぐらいの汚れ具合で、あまり立派ではない。「ビザ取得→」という矢印に従って進むと人がごった返している部屋に辿り着いた。中学校の教室の1.5倍程度のスペースに、120人近くの人間が犇いている。さながら災害時の大学病院の待合室のような雰囲気だ。そんなにインドに行きたいのかあなた方は。仕事で行くであろうスーツ姿の紳士も多く見られたが多くが学生風である。そんな僕もその1人だ。それが嫌だった。九段下駅で、いかにもインドにハマッていそうな服装をした若者を見かけたが、その彼もやはりビザを待っていた。
 整理券を取り、申請書への記入を始める。僕の順番が来るまで前にあと80人いる。気長に待とうじゃないか。もうここはインドなんだろ?敢えて、大して時間の掛かるはずもない申請にこんなに時間を掛けて僕等を焦らしてインドへの期待感を煽るつもりなんだろ?インド政府の策略にまんまと嵌る人間が多いのかも知れないが、僕は違うんだ。そんな思いで、英語の申請書に辟易しながらようやく書き終えて、10分、座席が空いた。座って本でも読もう。学生風の人たちの多くが『地球の歩き方(勿論インドのことを書いたシリーズの中の1冊)』を読んでいる。僕は違う。『料理人』とかいうアメリカ文学を読む。凄ぇ翻訳が下手。「ブレッグ」という名前のはずなのに、ある箇所では「グレッグ」になってたりする。そんな極上のアメリカ文学に目を通してただ時間が経つのを待った。そして1時間30分。ようやく僕の番がきた。
 映画のチケット販売所みたいなブースが幾つかあって、パスポート、申請書、顔写真、1200円をそこに提出するシステムだ。僕の担当は日本人の女性だ。年の頃27〜8歳といったところか。これが今流行りのツンデレってやつだな。もの凄い無愛想。アメリカの刑務所での食事。あれみたいだ。囚人が皿の乗ったお盆を持って、マッシュポテトなんかをボテッと盛られるあの感じ。彼女は看守みたいなものだ。必然的に僕が囚人になってしまうじゃないか。しかし本当にツンツンしてたな。200人以上の人間の相手をしてれば愛想なんて振れなくなるのも当然だとは思うけどあまりにもあまりあるツンっぷり。きっと夕方からのビザ受け渡しの時には手に負えないぐらいデレデレしてくるのであろう。
 大使館を出て、新宿に向かった。一緒にビザを取得するはずだった友人と落ち合い、旅行に関する何かしらを話し合ったり、旅行グッズの定番中の定番であるダイアル式錠やケーブル式錠や懐中電灯なんかを購入した。そして午後5時。再びインド大使館へと足を運ぶ。ビザは申請したその日の午後5〜5時半の間に受け取りに行かなければならない。当然、午前に申請しに来ている人はそこにいるわけで、やはり人が犇いている。しかしこれはインド政府の策略。人口10億のインドに馴れさせる為の練習に過ぎないのである。何食わぬ顔で待つ。しかし何時まで待っても受け渡しが始まらない。ようやく始まったのが5時15分過ぎ。これも3000年を超える雄大な歴史を持つ、ゆったりとした時の流れのインド時間に対する免疫を付けさせるインド政府の計らいの一つであろう。優しいな、インド人って。
 受け渡しは申請した窓口と同じ窓口で行われる。つまりは、朝ツンツンしていた女性が僕にビザをくれるのである。20分程して僕の番がきた。いそいそと窓口へ行く。「署名をここにして下さい」と言われ、慌てて鞄からボールペンを取り出そうとしている僕に、「ペンならそこにあります」と朝以上にツンツン。これがツンデレに代わって今年流行る兆しを見せる(嘘)ツンツンってやつか。その被験者第一号になれるなんて何たる幸運。さようならインド大使館。
 再び新宿。社会人1年生のT先輩を囲んだり囲まれたりする会。通称「竹馬並みの会」であった。参加者はT先輩と僕とインドに行くY君と後輩だけど年上のW君と僕の4人。居酒屋一休にて飲みに飲んだ。アルコールが効いてきて、真面目な話を熱く交わす。皇室典範とか多チャンネル時代到来における選択と信条の多様化はなるか、とか。それはそれは青い感じの話であった。でもたまにはこういうのも良いよね。人の考えを知れる機会というのは身近になればなるほど少なくなるというものだし。でも青い。タイプしていて汗が出てきた。2時間のところを知らず知らずのうち2時間45分間ぐらい一休に居座った後、ようやく退店となった。W君が気持ち悪い(こう書くとW君の存在が気持ち悪いみたいだけど決してそうではない。飲み過ぎたのだ)とのことなのでしばし歌舞伎町の風に当たるがてらT先輩が裏DVD屋を物色。それはそれは真剣な眼差しで人妻物のDVDを吟味していて、その眼はその日一番輝いていたように思えた。3枚購入していた。W君の体調も良くなってきたというので、ハーゲンダッツのアイスを食べて、何故だか吉祥寺に向かった。吉祥寺といえば『ろくでなしBLUES』の街である。『べしゃり暮らし』が毎週気になって仕様が無い。そしてT先輩のホームタウンでもある。
 カラオケ店で夜を明かすこととなった。架空の焼酎や架空のワインや架空のビールを持ち込んでまず懐かしめのメドレーをマイクを回して唄った。T先輩は酔っているのか素面なのか、社会人で日本の経済に少なからず貢献しているというのに、歌詞の要所要所を「ちんぽ」に変えて唄うという荒業を僕等に魅せてくれた。その「ちんぽ」の入るタイミングが文脈に非常にマッチしていて、絶妙としか言いようがなかった。その後もオリジナルの歌詞やフレーズを倒置してみたりだとか。即興でリミックスしてしまうその才能はDJをやっているから身に付けられたのだろうか?1時間、その調子で唄い、暴れ、その後は退店時間まで綺麗なアルカイック寝顔を湛えていた。
 カラオケ店から駅まで、僕等を見送ってくれたT先輩は吉祥寺駅エスカレータの途中で、「あっ、俺DVD買ったんだった。帰って観よう」と仰られた。やはり社会人になるにはこれぐらいのバイタリティが求められるのだろう、僕はそう思って考えるのをやめた。