日記

 高校の友人(女子)が大学の仲間でグループ展をやるというので、観に行くことに。僕と同じように招待された友人と新宿で待ち合わせ、有楽町まで中央線と山手線に揺られる。車内では、中央線に乗っているとよく盲人と遭遇するといった内容の話をしたりした。何か手土産を、ということで、東京駅で一時下車して土産物を見繕うことにする。
「女子大生は我儘だからな」「さあ何を買おうか」「饅頭なんてどうだろうか?」「いや、餡子が駄目な人がいるかも知れん」「じゃあカステラは?」「それは余りに無難過ぎる。冒険心の無い奴等だと思われたら駄目だ」「それならばケーキはどうだろうか?」「持って行く途中で崩れる危険性がある」「だったらその変わったやつは?」「卵アレルギーの人がいるかも知れん」「う〜む……」
 女子大生とは何と我儘な存在なのだろうか!土産物1つ満足に選ばせてくれないなんて。という具合に高校の時から成長の感じられないやり取りを一通り行い、結局、芋ようかんを買う。無難以外の何物でもない。
 
 有楽町には去年、自主映画の上映会で来た以来だろうか。会社から家路を急ぐサラリーマンで駅周辺からは雑多な印象を受ける。パチンコ屋は喧しい、街の景観も著しく乱す。消えて欲しい。
 JR有楽町駅から銀座のギャラリーまでは徒歩で10分程掛かった。飲み屋街の中で埋もれてしまった目立たないその建物はアパートの一室を開放して、ギャラリーとして使われているようだ。3階のそのギャラリーまで延びる階段を昇っていくと、右側に部屋が見えてきた。早速その友人(女子)が僕等に気付いた。大学2年の夏に会った以来だから2年振りだ。「全然変わってないね」と言われた僕は本当に2年前と変わっていないのだろうか?そんなはずはない。しかし待てよ……うん。本や映画、音楽の無駄な知識は増えているかも知れんが確かにそれ程変わっていないのかも知れない。ビールを旨いと感じるようになった、なんて事象は無視して良い。
 多くの人間がその場所から旅を始める東京駅の土産物屋で吟味に吟味を重ねた芋ようかんを渡す。有難うと言われ得意気になっている僕等はまだ気付いていない。この買物は完全な失敗であったと……。
 幼い頃、嬉々として食べていた芋ようかんであるが、どうやらそれ程は美味くないようだ。それは、人の手、若しくは口内で一旦潰され、吐き出されたさつまいもに砂糖を加えて練り固めたような味と食感であった。つまりさつまいもを少し柔らかく、甘くした感じだ。容赦無く口の中の水分を奪われる。ただでさえ駅から結構な距離を歩いてきた直後なのだ。喉は水気を欲していた。そこへ絶妙のタイミングで冷たいお茶が運ばれてきて、僕等は九死に一生を得ることに成功した。勿論、女子大生達も同様に芋ようかんの吸水性に苦しんでいるようだった。芋ようかん。その選択は一概に誤りだったとは言えない。ただ10本入りを選んでしまったことが間違いだったのだ。ちょっとした責任を感じて、僕等は3本食べた。もう15年は芋ようかんを食べなくてもいい。

 ギャラリーはおよそ10畳の広さで立方体だ。板張りの床は少し古めかしい。1人2〜3点の作品で4人分。つまり、約12点の作品が展示されていた(何か順序があるのかも知れないが僕には計り知れない)。友人は造形芸術を学んでいるので、3次元の作品を並べている。他にも絵は勿論のこと、写真を使った作品なんかもあり、そこそこ楽しめた。立派なもんだ、と初老が言うような言葉が自然と自分の口から発せられた時に2年の歳月を感じた。
 1時間半程ギャラリー内で談笑し、外へ出る。また近いうちに会おうと約束をして。

 折角銀座に来たんだ、何か食って帰ろう。そう言ったにも関わらず、行き着いたのは有楽町駅であった。僕等の財布の具合と合致する店は銀座界隈には無かった。在ったのかも知れない。だけど銀座を、安い飲食店を求めて、うろつくのは、憚られた。妙なコンプレックスが働く。
 再び中央線で新宿へ。歌舞伎町。僕等が入った店は『東京で一番安い店』と掲げた居酒屋『一休』。何だ、いくら探しても銀座に安い店が無いわけだ。だって一番安い店は新宿に在ったのだから。店内に入る時、僕等2人は何故か肩を落として歩いていた気がした。
 秋刀魚の塩焼き美味い。サラダ美味い。ビール美味い。コロッケ美味い。あれ?まだあんまり食べていない、飲んでいないはずなのに胃が締め付けられるようにキツいぞ……?
 嗚呼、そうか。成る程、芋ようかんだ。ははは。阿呆だ。ははは……。